シェムリアップに着くと、夕飯をゲストハウス内で食べた。
バスの中にいたカンボジア人と話込む。アンコールワット内のドライバーとして雇って欲しいらしい。
 
交渉したところ、一日1人5ドルまで下げられた。
(後でカンボジアの物価を知ってわかったが、おそらくもっと下げられた。後悔。)
ただ英語が使えるドライバーだったので、カンボジア事情のリサーチができたことは、非常に良かった。
 
 
 
 
翌日朝7時。ドライバーがゲストハウスまで迎えにくる。
トゥクトゥクと呼ばれるバイクの後ろに二列のシートがついた乗り物で、アンコールワットへ向かう。
 
 
アンコールワットは期待したほどでもなかった。
春にヨルダンのぺトラを経験してしまったため、遺跡に対する感動が薄れている。
全くカンボジアと関係ないが、ぺトラはすごかった。あそこにもう一度行かなければならないため、三回目のヨルダンが必要なのだ。
 
 
 
アンコールトム(アンコールワット周辺の遺跡群)を一通り見て、昼飯をとる。
英語歴独学二年のドライバーの英語は、英語を売りにしている大学の学生(ただし落ちこぼれ)である私とレベルが変わらない。しばし話し込む。
 
彼は30歳ぐらいだった。しかし幼い頃(内戦時)の栄養状態のため、往々にしてカンボジア人は若く見える。彼もその例に漏れず、私と同い年ぐらいに見えた。
 
家の周りを銃弾が飛び交う内戦の中、彼は育った。
内戦が収束に向かうと、彼は故郷の農村からシェリムアップの街に出てくる。当時シェリムアップの街は、アンコールワットの観光客を対象としたホテルの建設ラッシュに沸いていた。そこで彼は建設業に従事することとなる。
 
その中でコツコツと何年かお金を貯めた。バイクを買うためだ。
バイクを買い、バイクタクシーの運転手となることは、シェリムアップのカンボジア人にとって出世の第一歩だ。カンボジアでは3人乗りどころか、4人乗りのバイクを見かける。車はあまり見ない。収入のためだろう。
 
 
バイクタクシーの運転手となった彼は、観光客を相手としながら英語を勉強した。同時にマーケットでEnglish-Cambodia dictionaryと参考書を買い、勉強を開始する。二年前のこと。
その間も貯金はコツコツと行ってきた。バイクの後ろに二列のシートをつけるためだ。このシートをつければ、観光客を最高6人乗せることができる。
 
 
 
そしてシートも買い英語もマスターした今、日本語を勉強中とのこと。
アンコールワットのガイドになるのが夢だと笑った。
 
 
 
 
 
 
 
 
二年で英語を独学で仕事をしながらマスターする。それは「お金」になるから。
ポルポトが失敗した訳の分からない共産主義の時代も終わり、内戦も終わり、資本主義の波がカンボジアを席捲する。貧富の差はますます拡大する。その中で勝ち残るには、「勉強」しかない。
 
 
でも彼には今、「希望」がある。
 
"now,the life is better"
 
内戦時の話が終わった後、彼は笑った。
 
 
 
 
 
 
 
 
写真はアンコールワット。写っている人間はN氏。