昨日、カンボジアに入った。シェムリアップに夜到着。アンコールワットで有名な街だ。
朝からアンコールワットを見学した後、夜はバーストリートと呼ばれる通りに向かった。

途中、7、8歳と見られるストリートチルドレンたちがよってくる。パレスチナでもストリートチルドレンを見たが、ここの方が明らかに数が多い。しかも「お金」よりも「食事」を、せがまれた。初めてのことだった。

ストリートチルドレンから物乞いを受けた場所の、その10歩先に「バーストリート」があった。明らかにカンボジアの風景ではない。わずか50メートル程度の道幅に、西欧風のレストランが立ち並ぶ。物乞いの少女たちの入り込むスペースはない。

さて、私がカンボジアに来たもっとも大きな目的は、少女売春の実態を知りたかったからだ。少し前、日本でも「自己決定権」について社会学など様々な分野で論じられたが、私にとっての問題意識はそこにあった。

バーストリートを歩いていると、少女売春の斡旋人から声をかけられる。
女性を「買いにきた」フリをして実態を聞き出す。特に働いている少女について、聞きたかった。
すると、ストリートチルドレンの少女がある程度の年齢になると売られていくらしい。ベトナムから職を求めてやってくる少女もいるとのこと。

20分ぐらい話し込むと、売人の顔が、私たちに何か選択を迫っているようだった。そこで答える。
"Now, i don"t have so much money"
すると、
"just taking a look is OK"
彼は言う。

彼は「トゥクトゥク」と呼ばれる、バイクの後ろに二列の座席をつけた乗り物で、売春宿まで連れて行くという。

正直怖かった。タイのパッポン通りとは違い、危険な香りがした。しかし、見なければならない。考えなければならないと思った。私たちは車に乗り込んだ。

10分ほどバイクで走った先に、売春宿はあった。暗闇の中にポツンと光が差していた。駐車場で車を降りる。

中をのぞくとあどけない顔をした少女たちが、二段に座らされていた。胸には番号札がある。その向かいには、男たちが座っている。日本人一人と西欧人数名が、少女たちを観察している。どの少女を「買おう」か吟味しているのだ。

カンボジアの子供達は概して栄養状態がよくない。痩せ、そして小さい。実年齢より5歳は若く見える。
あどけない顔に施された派手な化粧、二段の段差の上に敷かれた赤い絨毯の上に少女たちは座らされていた。不自然だ。
私が見ている前で一人の少女が指名され、男と共に部屋へと消えた。

少女たちは売りモノだった。
「明日来る」と告げて、私たちは帰った。
もちろん行く気などない。

しかし、この売春斡旋人も店員も、皆「被害者」なのかもしれない。
売春斡旋人は身長が150センチほどしかなかった。20歳といっていたが、実際には15歳ぐらいにしか見えなかった。栄養状態がよくないカンボジアでは、よく見られることだ。

どこで会うカンボジア人も「職がない」と嘆く。職も金もない、彼らがすがるのは、金を持ってる先進国の人間達。そして先進国の人間たちも彼らを利用する。世の中とはそういうものなのだ。

帰り道、先ほどあった物乞いの少女たちに再会した。彼女たちは、このときお金でなく、「遊ぶ」ことを期待していた。写真を取り合ったり、抱っこして振り回したりしながら30分ほど時を過ごす。鬼ごっこもした。その様子は世界のどの子ども達とも変わらない。

遊びつかれてジュールを買ってあげると、お礼にとお菓子をくれた。とびっきりの笑顔だった。

そしてこの子達が16歳になったら、売られていくのだろう。

生きるって何なのだろう。考えさせられた。
10年後、この少女たちが「幸せ」に生きられる社会ができているのだろうか。