先週、慶応SFC(スーパーファミコン)の文化祭にて当団体がイベントを行った。ドキュメンタリーのビデオ上映やら、いくつかの展示を行った。
 
SFCのある藤沢は、私が中学三年~大学に入るまでいた街。良いことも悪いことも、全てが思い出される。
 
SFCは湘南台駅からバスで15分ほどのところにあり、見覚えのある風景が通り過ぎる。
大学の近くに高校時代の同級生が住んでいた。彼とはよくこの湘南台でナンパした。
 
大学向かうバスはあるカラオケ屋の近くを通った。そこが彼とナンパをして最も成功したスポットだった。
 
 
 
 
 
 
思い出すのは16歳の夏。深夜3時半。私はこのカラオケ屋にいた。
彼(仮にT氏としよう)と、働いていたガスリンスタンドの先輩(21歳、仮にM氏としよう)と、M氏の車で女の子を求めて彷徨った先に、たどり着いたのがこのカラオケボックスだった。
 
駐車場でダベっていると、女の子三人組がカラオケボックスに入ってくのが見えた。「これは」と思い、遠くから声をかける。
 
当時、香取信吾の「おっはー」が流行っていたころだった(時代を感じる)。
深夜3時半という時間を考えてか考えなかったのかよくわからなかったが、「おっはー」と呼びかけた。
 
すると乗ってきた。上手くいった。そのままカラオケへ。
 
18歳の女の子ギャル三人組みだった(色は白い)。今年高校を卒業して近くのキャバクラで働いているらしい。
私は当時ガングロ、サーファー(当時はかじってた)、M氏もガングロでイカツイ車に乗っていて、友人Tは地黒でサーファー、
ギャル三人組みに受けないわけがなく、仲良くなった。
 
そのうち二人がなかなか可愛く、仮にAさん、Bさんとしよう。もう1人がちょっとダメでCさんとしよう。
 
その日は普通に帰ったのだが、後にCさんから連絡があった。Cさんとだけ、なぜか連絡先を交換したのだ(このあたりの事情は覚えてない)。
始めは普通にメールをしていたのだが、どうやらCさんは友人T氏のことが好みだったらしい。連絡先を教えてと。なぜかちょっとホッとする。
同時に、なんとBさんが私と連絡を取りたがっているらしいということを知る。連絡して欲しいと言われ連絡先を教えられた。初めての電話で、二時間会話した。
 
 
 
Bさんは「昼間はOL、夜はキャバ嬢」という二束の草鞋を履いていることもあり、いつもオゴッてくれた。口癖は「私、お金持ってるから」だった。それが貧乏高校生にはカッコよく見えた。
レストランに行くと、「何でも好きなもの頼んでいいよ」と言った。
貢がれてるとかそういう意識はなかった。
純粋にカッコよさを感じた。
 
でもいつからか連絡が途絶えた。疲れてしまったのだ。
なぜなら、私は年齢も職業も偽ってた。
「18歳、浪人生」と。
彼女の年齢に合わせてた。
 
しかしこの頃の私は大学受験のことなど何もしらず、予備校の話を聞かれるたびに話に詰まった。
「なぜ車の免許とらないの?」と聞かれて、答えを探した。
 
 
 
 
 
 
 
あれからもう5年以上の月日が流れた。どれだけ自分が成長できたのかと、問いかける。
 
あの時、日本の総理大臣が誰かも知らなかったし、パレスチナなんて名前すら知らなかっただろう。
でも考える。今と同じように大きな喪失感を抱えながらも、それなりに楽しく毎日を送っていたといえるかもしれない。
 
 
 
 
そんなことを考えてたら、SFCの文化祭の次の日、友人Tから何年かぶりに電話がきた。彼は高校卒業後、化学薬品の工場で働いている。
 
「安田、久しぶり。今度遊ぼうよ。久々にナンパ行こうぜ。」
 
高校時代を思い出した。
 
 
私はあの時代を否定しすぎたのかもしれない。