前にちょっとブログに書いたが、NGOとかそういったものを「自己満足」とか「偽善」そういった形で考える人がいる。まぁ私が代表を務めている団体に関しては、今のところはそういった位置づけが正しいかもしれない。(そうならないように努力中)しかし、それは現代社会を考える上であまり賢くない議論だ。
 
いわゆる「貧しかった」時代の市民運動とは、活動を行う主体は「弱者」という意識、つまり強者によって抑圧されている「弱者」からの視点である。40年前の学生運動などはその典型であろう。
ところが近代成熟社会の市民活動とは、それとは正反対の視点に立って行われる。すなわち、自らを「強者」とする視点だ。フェアトレードにしろ、環境系NGOにしろ、これはあらゆる市民活動に適用できる。具体的に言えば、自らのためではなく、地球の裏側にいる人間、もしくは子々孫々のことを考えた上で、この社会のシステムを変革に向けて努力するということだ。換言すれば、自分達が安穏と乗っているシステムの裏には何があるのかを考え、それを放置したままでいることに疑問を覚える、それが現代の社会運動の原点にある考え方だ。
 
これを宮台真司などは「よい傾向」とみている。
 
それは、グローバリゼーションの中で直接的ではない「間接的」な「遠い」被害の問題が顕在化しているからである。このような市民運動が出てこない限り解決不可能な問題が、それも深く根深い問題が、今現在も進行中なのである。
 
私自身、自分がただ乗りしている世界システムの裏にあるものを見過ごすことが、「正しい生き方」だとして受け入れることはできない。だからこそ、私は今自分できる最大限のことを行っているのだと思う。