さて旅日記の続きです。これより前は4月のブログを参照あれ。

ファイサルホテルに移動し、就寝した。このホテルはエルサレム内にある日本人宿であり、ここを訪れるたびに多くの日本人に遭遇する。バックパッカーからジャーナリストまで様々な方が滞在する。ここに滞在する方々とお話するのは非常に楽しい。

朝起きて顔を洗い廊下を歩いてると、旅の仲間のY嬢が同年代の女性と話していた。話してみると当団体のことを知っていたらしい。(当団体の発起人である)F氏が新潟で行われたJICAのタウンミーティングで講演しているのを聞いたとのこと。とても感銘を受けたと言ってくれた。

僕、Y嬢、S氏の三人はこの日JVCというNGOのパレスチナ事業所に行き、ベツレヘムの難民キャンプを案内してもらうことになっていた。聞けばこの女性も、同じNGOに行って10日ほどボランティアとして滞在させてもらうらしい。その後このNGOで働くFさんがホテルまで迎えに来た下さり、事務所に連れて行ってもらった。少しお話した後、ベツレヘムへ。

 

ベツレヘム、この街はキリストが生誕した場所として知られる。僕は無宗教であるため、キリストの生誕地としての感慨は何もないが、やはりクリスチャンの方からすれば憧れの街なのだろう。

エルサレムからバスに乗って検問所近くで降り、そこから徒歩で検問所を越えた。しばらくすると「壁」が見えた。ここまで間近に、そして建設中の壁を見たのは初めてのことだ。

イスラエルのシャロン首相がヨルダン川西岸地域に壁の建設を決めたのは2002年6月のことだった。パレスチナ人によるテロを防ぐという名目だ。高さは約7、5メートル、幅が約3メートルこの壁は、現在も建設中であり数100キロにもわたる広大な「壁」がすでに建設済みである。

「壁」問題の焦点は、これがグリーンライン(1967年の第三次中東戦争以前の国境、現在のイスラエルとパレスチナの被占領地域の境界とされる)の内側に建設されているということだ。このことでパレスチナ人の土地がイスラエルによって接収されるという問題がおきる。だからこそ国際司法裁判所もこの「壁」の建設に違法判決を下したのである。

さらに皮肉なことに、「壁」の建設には多くのパレスチナ人労働力が投じられている。パレスチナの失業者問題は深刻であり、生活のために自らの生活を分断するこの「壁」の建設に加担しなければならない。

しかし、どんなにリベラルなイスラエル人であっても、この壁に反対する者は少ない。テロに怯える生活の中で、イスラエル人も疲れ切っているのだ。彼らが今一番望んでいるものは、「安全」なのである。僕自身、昨年の夏のテルアビブであと三時間早くバスに乗っていたら、テロに巻き込まれていた可能性があった。海や空や夕日が美しい街の中に突発的におこるテロ、そんな「イスラエル」に生きることが、少しだけわかった気がした。

 

その後ベツレヘムの中心街に入る。