エルサレムにてユダヤ人芸術家と食事をした次の日、昨年の夏以来の「嘆き壁」を見て、近くのアラブ料理屋にて飯を食べていた。すると、一昨日空港にて談笑したアメリカ人の一団がレストランの前を通りかかった!!

日本でいうところの「四国」と同じぐらいの面積を持つ国で、「偶然の再会」なんてことが起きてしまったわけです。この再会を喜び、一緒に色々回ることとなった。お金がなかったので両替した後、向かった場所はアルアクサモスク。嘆きの壁の上にある、イスラム教第三の聖地。

 

2002年9月28日午前7時半、リクード党首シャロンはこの地に足を踏み入れた。当時行われていたキャンプデービッド交渉において首相であり労働党党首のバラクが東エルサレムの統治権に関して「妥協」姿勢を見せていた。シャロンはこのイスラム教聖地訪問(この地は第三次中東戦争により東エルサレムがイスラエルの管轄下に置かれた後も、イスラム教徒による統治が認められていた)によって、キャンプデービッドにおける妥協を許さない、断固とした姿勢を貫こうとした。

 

敷地内にいたアラブ系議員が抗議のために近づくが、シャロンの周りの警官隊に取り押さえられた。激怒したパレスチナ人が敷地内になだれ込み警官隊との衝突が発生したのはシャロンがここを去った直後。ここから紛争は全土に広がっていく・・・

パレスチナ人側のみならず、イスラエル人側にも多くの死傷者を出し続けている、この「アルアクサ・インティファーダ」と呼ばれるパレスチナ人の闘争は、ここから始まった。シャロンのあまりに思慮のない行動によって多くの犠牲が生まれた。

その場所に立ち、アメリカ人の一団と記念撮影もしたが、その後彼らから少し離れ何枚も写真を撮った。

 

その後は旧市街を出る。小高い展望台みたいなところでエルサレムの風景を堪能し、その後新市街の市場に連れて行ってもらう。とても活気のある市場。人が溢れており、「ここで自爆テロがあったら」と考えると、少しぞっとした。その後彼らと別れ、新市街をふらつく。僕とS氏はアダルトショップを発見して大喜びしたりしたw

下の写真は嘆きの壁と、アルアクサモスク、それと新市街の市場の様子です。