12月より第三回日本・イスラエル・パレスチナ学生会議代表になることが決まった。これから僕はこれから一年間中東和平に向けた大きな試みの責任者となる。第三回の会議、それは大きな正念場となるであろう。

第一回の会議では日本の学生が行う初の試みとして、注目を集めた。第二回では地域との連携など新たな目標に掲げてじっくりと会議の日程を組んでいった。第三回目は???

現段階での僕はやはり物事を動かしていく力などに欠けているし、あらゆる意味で能力不足であることはわかっている。それでも多くの方が支持してくれたのは、今後への期待を込めた部分もあるだろう。そして自分の熱意を認めてくれたということでもあるのだろう。

これから自分がやるべきことは多々ある。まず第一に英語力、知識の向上。現地と連絡を取っていく上でこの能力はかかせない。そして、内部にもっと気を配るということ。またプレゼンの力は代表に必然的に求められるだろう。また大局的な視野も必要だ。UNRWA(国連パレスチナ難民救済機構)やJICAとの提携をどのように行っていくべきか、そしてどのようにしたら自分達が中東和平への一助となりうるのか考えていきたい。

今回の選挙には本気で応援してくれた人が数名いた。この人たちの期待を裏切らないように頑張りたい。

それにしても人間のクズのような生活を送っていたあの頃を思い出すと、今の自分が誇らしく思えるのだ。よく「自分大好きだよね」と言われるけど、それは大学に入ってからのこと。高1、2は三日に一度ぐらいしか学校行ってなかったし、毎日夜中までタムロして、時にはケンカして鼻を折ったり、時には爆音のバイクで走ったり、女の子を苦しませたり、そしてそうしながらも自分を何の目標もない、人に迷惑をかけてばかりのクズだとわかってた。そこから抜け出そうとしたのが高三のとき。高校卒業を期に、とうとう自分は生まれ変わる決意をした。

タバコと酒を断ち、友人関係も絶ち、生まれ変わろうとした。他者のために何かができるようになりたい、今まで色んな人に迷惑をかけたから、今度は人に貢献したいんだ、苦しんでる人を助けたいと。

二年間、一日13時間勉強、1時間本を読んだ。高二の終わりでは日本の総理大臣も知らなかったけど、二年間の読書の甲斐あって様々な知識を得た。はじめは辞書を片手に奮闘してた。そして東大とICUしか受けないと決めていた。国際関係をしっかり学びそれを社会に還元していきたいと。二浪目はセンターで失敗し京大に出願したりしたものの、私立はICU以外行かないと決めていた。詳しいことはICUの公式ホームページの僕の連載に出ているが。

そして僕は春、桜並木を通ってICUに入学した。素晴らしい先輩方に出会えた。学生会議の先輩方そして仲間がいなければ、今の僕はなかった。代表、事務局長、高校時代からNGOを運営していた奴や三ヶ国語を自由に操る方、経済を研究されている院生の方、突然パレスチナに留学に行ったかと思いきや大学やめてイギリスにいった方、まだまだたくさんいるけど今でも話すたびに刺激を受ける。

三ヶ月後にはパレスチナの地にいた。それも僕という本当にちっぽけな人間を認めてくれたある先輩が勧めてくれたから。反対する僕の父とまで会ってくれた。僕と父とは大学に入って暮らし始めたので、なかなかコミュニケーションがうまく図れなかったのだが、それをうまく取り持ってくれた。そしてパレスチナの地でも何の役にも立てず、この先輩と行動を共にした仲間に迷惑ばかりかけてしまった。それでも、一緒に旅できて楽しかったよ~と言ってくれた。

これからも色々なことで迷惑をかけるだろう。それでももう甘えは許されない。やるべきことをきっちりこなす。そうでなければ僕を代表に選んでくれた人に申し訳が立たない。イスラエル人・パレスチナ人を来年も呼び、そして彼らにとって意味のあることとなるように、わざわざ日本まで来てよかったと思えるような会議をつくりたい。そして学生にも何かができるはずだと信じて、20年後、30年後に訪れるべき中東和平にむけた草の根運動として大河の一滴にでもなれたのなら、僕は嬉しい。