今日は普通に学校に行き、バイトして夜帰った。帰り際高校時代の友人から電話がある、二年半ぶりに話す。彼とは高校時代最もつるんでた奴の一人。今の自分にとってはあまり思い出だしたくない時代だけど、それも今の自分を形づくってるひとつなのだと最近は思えるようになった。用件は「○○の電話番号しらない?」ついでに少々話す。

彼は今桐蔭横浜大学に通ってるらしい。「相変わらず安田は○○○○なの?」と聞かれる。そんな風に毎日を過ごしてた時代もあったなと思う。本当に人間のクズだったあの頃。「いや、毎日勉強とNGO活動で忙しくてそんな余裕はもうないよ」と答える。

会話がもたなかった。もう自分は違う世界にいる。それがいいとか悪いとかじゃなくて、ただもう自分とは全てが違ってた。ただ今、毎日が楽しいことだけは事実だ。生きていて初めて楽しいと思えてるんだ。これで彼女さえいれば・・・そこだけは高校時代に戻りたいw

帰ってメールを開くとアラブ系イスラエル人の友人からメーリスが流れてた。アラファトの死を悲しむメール。

ここのところ連日流れているオスロ合意の映像を見るたびに心が震えてしまったりする、そして同時になぜあれからたった十年でこんな状況になってしまったのだろうという思いにもかられる。

一ヶ月程まえ「パレスチナ紛争史」なる本を読んだ。日経新聞の前カイロ支局長の方が書いた本だ。そこではオスロ合意からキャンプデービッド、そして今までに至る歴史が書かれていたのだが、「このときアラファトが決断を間違ってなければ・・・」という瞬間が多々あったことに改めて気付かされる。なぜあの時パレスチナよりの仲介案が出されたのに受け入れらなかったのか・・・様々な思いがつのる。

でも一方でアラファトは英雄だった。アラファトの登場以降、パレスチナ人は単なる「難民」から「闘士」となったのだ。今年の夏アラファトが埋葬されているラマンラでパレスチナ人三名(うち二名は今会議の参加者)と会っていた。えみさんが"what do you think about arafat?" と聞いた時、彼らはアラファトへの敬意を熱く語ったのを思い出す。アラファトはパレスチナ人にとって特別な存在なのだと感じた瞬間だった。

何が正しくて、そして今後どうなっていくのかなんて僕にはわからない。だから今は僕のできることをただひたむきにやっていくしかないのだと思う。それが意味のあるものになるのかなんてわからないけど、やらないよりはマシなのだって信じてる。夏会議中交流会の後、イスラエル人のナダヴに言われた言葉があって、それが僕には未だに忘れられないし、今の自分を支える大きなものとなっている。

「今日の市民交流会でパレスチナ人と肩組んで踊ったりしたけど、こんなこと日本に来るまえ予想だにしなかったよ。イスラエル人が、アメリカ人やベルギー人、オランダ人とかと踊ってたってなんにもおかしくないけど、今回の相手はパレスチナ人だよ。こんなことイスラエル帰って友達に話しても誰が信じられるっていうんだい?こんな機会をつくってくれて本当にありがとう」

ナダヴとはイスラエルでも会っているのだが、彼はパレスチナに対してあまりいい印象は持っていなかった。パレスチナの自爆テロのひどさについて、興奮気味に語っていた。ゆえに今回の会議のなかで最も右派だと思われていた。そのナダヴがだよ、こんな発言をさ。

今回の夏会議はもちろんダメダメな部分がたくさんあったわけだし今後絶対に改善していく必要があるわけなんだけど、それでもたった一人の人間にだけでも心に何かを残せたのなら、それは「失敗」ではないと思うんだ。

そして今日、代表選の結果が発表される。

っと思ったら先ほどメーリスで僕と対抗者のO氏の票が同数だった流れる。選挙やりなおし。どうしても代表やりたい。