「個の自立」についてのrandom thoughts

2月の某居酒屋チェーンの過労死の問題を聞いてから、「個の自立」について改めて考えている。

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「個の自立」とは、社会の目線を必要以上に気にする事なく、自分の判断に責任を持ち行動する態度のことだと僕は理解している。

人は本来、自分が幸せになるために、そして他者を幸せにするために生きているはずだ。
ただなぜか、日本社会では、「社会が自分をどう見ているか」が優先されてしまうことが多い。
(現に、丸山真男を始めとした知識人は、「個の自立」を日本の課題だとしてきたことはよく知られていることだと思う)

僕はこれについて、3年前にブログを書いていた。
http://yasudayusuke1005.wordpress.com/2009/02/27/about-freedom/

しかし、かく言う僕も、新卒で入った会社を辞めるときには「ここで辞めたら次の就職先はない。社会の中で行き場所を失う」と悩み苦しんだのは事実だ。
「社会から目線」という呪縛から自らを解き放つことは、日本人として生きてきた以上、難しいことだった。

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2月は、ガイドの仕事を頼まれて、一週間ほどイスラエル・パレスチナにいた。
大学時代の友人たちが各地に散らばっているので仕事の合間に会っていたのだけれども、半ば同窓会のような気分になった。

イスラエル政府から奨学金をもらいながら研究を続ける友人は、「研究で食うのは難しいことだからヘブライ語とアラビア語を完璧にして、研究以外の道でも食えるようにしたい」と話していた。

外資コンサルを一年で辞めて現地で働く別の友人は、「やっぱり好きな仕事がしたいよね」と楽しそうに働いていた。

20代も後半の僕らは、自分がやりたいこと・やるべきことをやる一方で、飯を食うためにもお金を稼がなければいけない。
もう少ししたら、家族を養うようになる友人もいるだろう。

やりたいこと・やるべきことを貫きながらも、生きていくための「責任」を引き受ける―それを「個の自立」と呼ぶのだと僕は思う。

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「死ぬまで働くなら、仕事なんて辞めればいいのに」
それが、「過労死」という言葉を聞いた時の、欧米人一般の反応だ。
(欧米では、一神教の影響からか「個の自立」がアプリオリのものとして存在している)

でも日本では、「自分が幸せ」であることよりも、「社会から評価されること」が時に優先される。
弊社に訪れる中退経験のある若者たちと接していても、それは同じで、「自分が枠から外れてしまった」ことに苦しんでいる子は少なからずいる。社会の目線から、なかなか自由にはなれない。

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そんな状況に対する処方箋は、「繋がり」「ホームベース」のようなものを創ることだと思っている。何があっても自分の存在を認めてくれるコミュニティが存在するか、ということだと思う。すごく逆説的だけれども。

例えば、零細NPOの経営者たる僕は、今、合コンに行っても全くモテない。自分のことを誰も認めてくれず、悲しい気持ちになる。(僕はそれを肩書きのせいだと思い込んでいる)
社会からの目線、という観点でいえば、僕は最底辺にいる。

けれども、一方で友人たちは「いい事業をしているね」と、応援してくれている。
それが、「繋がり」であり、「ホームベース」だ。社会からの目線が低くとも、認めてくれる他者がいる。

何をどこでしていてたとしても、認めてくれる存在がいるかどうか―それが「個の自立」にとって不可欠だと僕は考えている。

人材募集

自分のブログで人材募集をしたことはなかったのです、人が足りないのでここでも人材を募集します。

募集しているのは、1:講師、2:インターン、3:正社員です。

下記参照↓

http://kizuki-juku.com/int/recruit/

講師については、特に国公立・早慶レベルの理系科目を教えられる方を急募しています。

インターンについては、長期にわたって勤務できる方(休学インターン歓迎、給与は応相談。優秀であれば休学費用も出します)。メイン事業である、中退・引きこもりなどを経験した若者向けの塾事業の運営をおこなって欲しいと考えています。

正社員については、上記のリンクに記載のある通りです。

お時間のある方はふるってご応募下さい。
一応、リンクの内容を下にもコピペします。

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講師募集

業務形態:講師

業務内容:中退・不登校などで悩む生徒たちの指導を行う講師です。また、業務としては大学受験、高卒認定試験・高校受験対策の他に生徒の悩みの相談なども行います。

求める人材:責任感の強い方。生徒の言うことを素直に聞いて、共感できる方。
*講師未経験者、社会人の方もOK。
*中退、不登校、引きこもり、ニートなどを過去に経験し、一から勉強をやり直した経験のある方を歓迎致します。

勤務時間:週1回、3コマから。(半年以上)※授業時間外のMTG等の参加もお願いしております。

給与:授業のコマ数に応じて支給

交通費:支給(1回往復1,000円まで)

応募方法:フォームから応募下さい。

勤務地:巣鴨本校

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インターンシップ募集
業務形態 インターンシップ

業務内容 「受験支援事業」運営 中退・不登校などで悩む生徒たちの指導を行う「キズキ共育塾」の仕組みを整備していく仕事です。「どのように多様な事情を抱える生徒への対応をマニュアルに落としこみ講師間で共有するか」「いかに悩みを抱える生徒と向き合える共感能力の高い講師をリクルートするのか」など運営に関わる問題の解決を担って頂きます。

求める人材:責任感の強い方、ベンチャー精神のある方 ※インターン未経験者もOK。責任感・やる気のある方を歓迎します!
(中退、ドロップアウト経験者、一から勉強をやり直した経験のある方大歓迎)
テスト期間:1ヶ月 ※ミスマッチ・トラブルを無くすため期間中に、積極性に欠けたり、キズキで働くことが合わないと判断された場合は、こちらから通告させて頂きます。

勤務時間:学期中:週2回、休暇中:週3回(1日7時間程度)で半年以上
※業務時間外でもメールへの返信が必要となることもあります。
また、休学インターンも歓迎しています。(優秀であれば、休学費用をこちらで負担します)
給与:能力に応じて交通費(1回往復1,000円まで)・給与等を支給

応募方法:フォームから応募下さい。

勤務地:巣鴨本校

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正社員募集要項

業務形態:正社員(事務局長候補)

応募資格:大学受験の経験のある方

業務内容: 中退・不登校・引きこもりなどを経験した若者向けの高校・高認・大学受験塾の運営の責任者を募集しています。
講師・インターンの管理、保護者対応、財務・経理、広報など、塾運営に関わるあらゆる業務を担当していただきます。

求める人材:・心身ともに健康な方
・生徒・保護者の対応、アルバイト・インターンのマネジメント、経理・法務などバックオフィス業務など、あらゆる業務に対応できる方
・パソコン業務を行う上で支障のない方(メール、エクセル、パワーポイントなど)
・責任感が強く、ベンチャー精神のある方。
・論理的思考力のある方
・塾・予備校等での勤務経験者を歓迎します。
・社会福祉士、臨床心理士などの有資格者を歓迎します。

勤務地:NPO法人キズキ事務所(東京都豊島区巣鴨、池袋に移転予定)

勤務時間:週休二日制 ※当初3か月は試用期間とする (出社日時については面談にて相談)

給与:月20万~30万(研修中:月16万以上) ※経験、スキル、能力等により応相談。交通費支給。

応募方法:フォームから応募下さい。

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3月9日

3月9日は親友の命日だ。
2年前の今日、僕は生まれて初めてできた友人を失った。

高校を中退した後も、鬱病に苦しんでいたのを聞いていた。でも10年ぐらい、会えていなかった。
そして2010年3月9日、抗鬱剤を摂取しながら泥酔したことで、器官に食事が詰まり、亡くなった。
http://yasudayusuke1005.wordpress.com/2010/03/15/shinnyuunoshi/

社会から外れてしてしまった若者たちを支援するような仕事がしたいと思うようになったのは、この時からだった。

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二年が経った今も、
「彼に恥ずかしくないような生き方ができているか」
と、ふとした瞬間に自分に問うている。

「頑張れない」ということ

ワタミの一件から、「頑張る」と「鬱」について、よく話題に出るようになったと思う。

僕自身、2011年の下半期は、「もう倒れるかな」と思うほど頑張って働いた。
平均睡眠時間は3時間程度、朝寝て朝に起きる生活が続いた。
そのおかげで、起業から一年半の今では、心の底から意義があると思える事業で、生きていくには十分のお金を稼げるようになった。

でも一方で、「頑張れなかった」ことも、これまでの人生でたくさんあった。
特に、2006年のルーマニア時代、2009年の商社マン時代はひどかった。

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2005年大学二年生の頃、僕はイスラエルとパレスチナで学生NGOの代表をしていた(といっても、先輩が設立した組織を引き継いだだけだが)。
イスラエルとパレスチナ、紛争下ではなかなかお互い交流する機会がない。そのような状況にある学生たちを、第三国である日本に招致し、一ヶ月の合宿生活を行った。

当時の活動は、多くのメディアで取り上げられ(残念ながら、いまの弊社の数倍のメディアに取り上げて頂いていた)、外務省のホームページ上動画では、日本が行っている中東和平の信頼醸成事業の4つのうちの1つとして紹介して頂いていくまでになった。

http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/chuto/douga_wahei.html

その秋、九州大学の学会での講演をきっかけに、「ルーマニアの研究所で働かないか」という誘いをもらった。国際関係や開発についてのリサーチを行っているノルウェーの研究所の支部だった。
そして大学三年生になる2006年の春、学生NGOを後輩に引継ぎ、大学を休学してルーマニアに向かった。

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それは、僕にとって初めての海外生活だった。
イスラエル・パレスチナでの成功は僕に根拠のない自信を与えてくれていて、だから自分が何を成せるのか楽しみだった。

僕が住んでいたのは、首都ブカレストから電車で7時間のところにある田舎町で、日本人は僕と日本料理屋の店主だけだった。
日本人どころか、アジア人も一人しかみたことがなかった。
一方で研究所はアメリカ、イギリスなどからの研究者が多かった。そこで僕は世界各地から平和活動に携わる若者向けのワークショップの企画やファンドレイズ、調査等のお手伝いをしていた。

彼ら研究者たちはよく、「イスラエル・パレスチナはこうあるべきだ」「バングラデシュはこう発展すべきだ」と語っていた。
でも、実際に現地に行ったことがある人はいなかったし、勿論現地の言葉を話せる人もいなかった。

http://yasudayusuke1005.wordpress.com/2006/07/16/yowasawomitomeru

「本当はもっと現地の声を聞かなければ、いけないのではないか。そうでなければ、本当に彼らの助けになるような事業などできる訳がない。」
でも当時の僕は、それらをはっきりと言い切れる度胸や英語力がなかった。
下手くそな英語で遠慮がちに伝えても、取り合ってもらうことができなかった。

悔しかった。
何かを成し遂げるまでは帰らないつもりだった。
けれども、孤独で苦しくて、どうにもできなくなっていた。

そして夏が終わる前に、僕は逃げるようにして日本に帰った。

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もう一つの挫折は、2009年新卒で商社に入った頃だった。
ルーマニアでの経験の後、「途上国の底辺に生きる人々の視点で世界を見たい」と思った僕は長期休みの度にバングラデシュの娼婦街に通うようになっていた。2008年6月に大学を卒業した後はバングラデシュでの生活を本格化させた。

けれどもバングラデシュに通えば通うほど、自分が何をできるのか、何をすべきなのか、分からなくなっていた。
そんな諦めの中で、それでも「発展途上国と関わっていたい」という思いから、何より新卒切符を捨てるのが怖かったから、総合商社に入ることにした。リーマンショックの直後のことだった。

入社日には、希望に反して油田権益の投資の部署に配属が言い渡された。
http://yasudayusuke1005.wordpress.com/2009/04/01/masakanohaizoku

当時の僕は泥臭く途上国をかけずり回りたかった。
その後で、自分が何をできるのか、何をすべきなのか考えたかった。
けれども油田権益の投資でエクセルと向かい合う日々は、それらと少し離れている気がした。
それに、扱う金額が大きすぎて、若手に決定権がなかったことも、天邪鬼の僕にはつらかった。

大企業に入った多くの人は、「まずは三年我慢」して、「人事部が決めた」配属先のビジネスのことをゆっくり知るように努力する。
でも、僕にはそれができなかった。普通の人が当たり前にできることなのに。

http://yasudayusuke1005.wordpress.com/2009/06/04/yaritaishigoto

仕事が忙しかったわけでは決してない。上司からのプレッシャーもなかった。
「やりたいことができない」「自分の理想とする生き方できない」
ただひたすら、くすぶっていた。とはいえ当時は独立する勇気もなかった。

そのうちに段々と、会社に足が向かなくなっていった。
普通の人が当たり前にできることができない自分が、情けなかった。
http://yasudayusuke1005.wordpress.com/2011/06/16/mayoitsuzuketa/

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ルーマニアでの悩みは、いつの間にか解決されていた。
英語は相変わらずうまくはないが、それでも朝から晩まで英語で議論するぐらいは特に問題ない。

仕事に関して言えば、その後勇気を出して起業したことで、全ては解決されていた。
今は人並みの給料をもらって、スタッフに給与を払って、楽しく生活している。
スーツは着ないし、満員電車には乗らない、「自分が正しい」と信じれられることを仕事にしている。
その分、毎日プレッシャーで胃がキリキリするけれども、それも意外に楽しい。

そう、つまり「人生はなんとかなる」のだ。

何かを成そうと思うのならば、徹底的な努力や我慢が必要だ。
ただ、その努力や我慢が「自分を苦しめている」次元まで到達したならば、「諦める」ことも選択肢にいれた方がいい。

「時間」の力は偉大で、いつか全てを癒してくれる時がくる。
それだけでなく、「時間」はその苦しみを、「物語」に変えてくれる。

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僕は、この二回の経験を通じて「人の弱さ」が分かるようになった。

12歳で家を出て生き抜いてきたことで、僕は自分のことを「誰よりも強い」と思い込んでいた。
でも実は、多くの人が当たり前にできることが僕にはできなくて、そこで初めて「弱さ」を理解した。

「頑張れない」人の気持ちが分かるからこそ、今の事業を起こせた。そして何より、社会の中でつまずいてしまった人たちの気持ちが分かるようになってから、世界は豊かに見えるようになった。

起業までのこと

先日、母校の学生新聞にインタビューして頂きました。
就活生に向けた記事です。

偉そうに喋りすぎていて恐縮なのですが、転載致します。

http://subsite.icu.ac.jp/org/wg/index.html

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11月に入り、学内にもスーツ姿の学生が散見されるようになってきた。いたるところで、就職の話をしている学生も見られ、就職活動が徐々に始まってきていることを窺わせる。読者の中にも、すでに就職活動を始めている人もいるだろう。しかし、一般企業への就職だけが、社会に関わる生き方という訳ではない。今回は少し視点を変えて、ICU卒業後、総合商社を退職し「NPO法人キズキ」を立ち上げた安田祐輔さん(ID:08 6卒)にお話を伺った。
(※インタビューは再構成済)
【くまむし。】

――NPO法人キズキとは、どのような活動を行なっているのですか?
簡単に言うと、ドロップアウトしてしまった若者たちにやり直しのチャンスを提供するために活動しています。ニート・引きこもり、不登校・高校中退、貧困や職場のストレス……様々な形で人生につまずいてしまった若者たちがもう一度社会と関わるために必要な支援を行う。それがキズキの主な活動です。
具体的には「基礎学力支援事業」「大学受験支援事業」「再学事業」という3つの事業を行なっており、特に「大学受験支援事業」が現在、キズキの主幹事業です。これは大学受験を通してニート、高校中退、不登校などといった立場の人々に、やり直しの機会を提供するものです。また、「基礎学力支援事業」では中学や高校での勉強についていけない若者に学業支援活動を行うことで、ドロップアウトを予防します。そして「再学事業」では、ニート・引きこもりといった状況にある人々に、「学び」の過程を通して、就職するために必要となるスキルと自信を身につけて社会復帰できるよう、支援していきます。これら3つの事業を通して、社会の中でつまずいてしまった人々が何度でもやり直せる社会をつくる。それが僕の目指すことであり、NPO法人キズキの目的です。

――どうして安田さんは総合商社をやめて、NPOを立ち上げようと思ったのですか?
NPOで食べていくことを決めたのは、社会において本当に価値のある仕事をしたいと思ったから、そして社会の中でつまずいてしまい自己肯定感を持てない若者を支援したい、と考えるようになったからです。ここに至るまでの経緯は、僕の生い立ちも含めて話してもいいですか? 少し長くなりますが、重要なところなので。

もともと僕自身社会からドロップアウトした経験を持っています。子供の頃は家庭環境に恵まれなくて、小学校卒業後は親戚の家や寮などを転々として暮らしていました。なぜ生きているのか、自分が何をしたいのかということが本当に分からなくなって暴走族に入っていた時期もありました。それが変わったのは18歳の時、テレビでイラク戦争やアフガン空爆を見てからです。当時は総理大臣の名前も知らないような僕でしたが、その時、苦しんでいる人たちのために、「何かできることはないか」と真剣に悩み、大学を受験することを決めました。2年間の猛勉強の末、20歳の時にICUに入学しましたが、大学生活は本当に楽しかった。ずっと、自分を肯定することができなかった僕にとって、大学での生活は本当に素晴らしい時間でした。様々なことを経験しましたし、未来も開けました。そこが僕の原点なんです。

――ICUではどのような大学生活を送られたのですか?
本当にいろんなことをしましたよ。日本・イスラエル・パレスチナ学生会議の代表も務めましたし、休学して、ルーマニアで働いたこともあります。現場を知りたいとの思いから、大学時代後半から卒業後にかけて、バングラデシュの娼婦街にこもってセックスワーカーの映画をとったりもしました。だけど、そうやって、現場に入って、現地の複雑な状況を目の当たりにすると、今度は自分がどうしたらいいのか、わからなくなってしまった。現地の人は優秀で問題を解決するための能力を持っています。でも、そこに現地語を話せなくてお金を持っている人間がどんどん介入していく。そんな状況を目の当たりにして、「現地の人にできなくて自分にできることは何か」、と考えた時に、僕は何も見つけることができなかった。その鬱屈とした気持ちを引きずったまま、僕は日本に帰り、就職活動に取り組んだんです。

――帰国してからの就職活動は大変だったのではないですか?
嫌味に聞こえるかもしれませんが、就職活動は楽でした。面接なんかは、想定される質問を100個ぐらい考えて、その答えも全部用意していきました。終わったあとは、面接官の反応からその回答で良かったかどうか、再検討し、全部ノートに書きこんでいました。オリジナルの想定問題集みたいなものです。その甲斐あって、外資コンサル、マスコミ、商社などから内定を頂きました。その中で僕が選んだのは商社です。理由としては時給換算して一番いいところに行きたいっていうのがひとつ、もうひとつはやっぱりどこかで、僕は途上国に関わり続けるのかな、という思いが自分の中にあったからでしょうね。
商社に入ってからは、アフリカで石油の投資に関わりました。でも、僕にはそれが社会を良くするとはどうしても思えなかった。むしろ、石油のせいで貧富の格差が拡大している。だけど、そこで「これが社会をどう良くするのか」と問いかけても答えてくれる人は誰もいない。入社から半年たって、気がついたら僕は会社に行けなくなっていました……。
会社を辞めた直後は家にこもって、ひたすらゲームの日々でした(笑)。しばらくすると流石にうんざりして、転職しようとしたけど、今度は納得出来る条件の職がない。これはもう起業するしかないか……。そう思ったのが2010年の春です。自分は社会のどんな問題を解決したいのか。そういうことを真剣に考えるようになったのもちょうどこの頃でした。

先ほど言ったように、僕は途上国で紛争や貧困の問題にずっと関わってきました。また、日本に帰ってきてからも、NPOの活動や、ホームレスと一般市民との対話集会を主催して、日本の貧困問題について、働きながら勉強を続けていました。その中でずっと感じていたのが、途上国にある「希望」が日本には無いということです。途上国は今、発展期です。そこに住む人々は、確かに貧しいのですが1年後は今より良くなるという「希望」を持っています。一方で日本には「希望」がない。物質的には豊かなのですが、社会全体に閉塞感が漂っていて、一度社会から外れてしまうと、そこから這い上がれないような風潮があります。まずはこの日本に、再び「希望のある社会」を創ることができないか。僕はそう考えるようになりました。学生時代も学生団体で助成金をとっていたし、マザーハウスという会社で1年間働いていた経験もある。じゃあベンチャー系のNPOでもやろうかな、と。それから1年ぐらい経ちましたが、最近はようやく食べていけるようになってきました。

NPOでの仕事は、本当にいろんなことをやっているけれど、一番やりがいがあるのはやっぱり塾事業です。一度、社会からドロップアウトした人が受験を通じてやり直す。その経験を通して、社会とのつながりを取り戻す。まだ合格者は出ていないけども(注:2012年1月現在は合格者も出ています!)、事業のモデルも徐々に固まってきて、塾に来てくれている人がイキイキとしはじめているのを感じます。彼らにとっては、キズキが唯一の居場所なんですね。キズキがなくなったら彼らはまた居場所を失ってしまう。これはすごい責任があることだと思うし、やりがいも感じています。

――これから就職活動を行う学生に、何かアドバイスはありますか?
まず、具体的なアドバイスをさせてもらうと、就活本に書いてあることをそのまま言う人は絶対受かりませんね。自分の体験を引き寄せて、自分の言葉で語る。これが、できないとダメ。一番大事な点です。
あと、就職活動については、やりたいことを探すのもいいけど、どう生きたいかについても考えて欲しい。そのために、逆にこれだけは絶対にやりたくない事は何か真剣に考えてみるのも大事だと思います。やりたい事は具体的に「何々したい」というものが多いけど、やりたくない事っていうのは生き方に関わってくる場合が多いので、突き詰めると自分がどう生きたいかが見えてくることがあります。

例えば僕の場合は、会社員は無理でした。革靴は履きたくないし、なるべく私服でいたい。馬鹿な上司と働くとか冗談じゃない。自分がこの人いいな、スゲーなって思う人としか働きたくない。起きる時間も適当がいい。そしたら、起業しか残りませんでした(笑)。
それに、例えやりたい事に向かっていても、その過程はやりたくないことがいっぱいある。やりたいことに向かっていると頭ではわかっていても、その過程がつまらないと辛くなってしまうこともある。だから最初からやりたい事ばかり、見つめすぎないほうがいいと思います。
自分は苦労したから、みんなには自分に合った仕事を見つけて欲しい。会社に入ってから苦労しないで欲しい。僕も、自分が本当は大企業に合わないことは分かっていました。ベンチャーが向いているのも分かっていたんです。だけど周りの雑音に惑わされてしまった。僕は、やっぱり自己肯定感がなかなか持てなかったから、優秀であると言われることで認められたかったのかもしれません。でも、それでどう生きたいかということを見失ってしまった。だから、みんなはとにかくどう生きたいかを考えてみてください。

あ、あと最後に、就職のための力をつけたいなら、NPO法人キズキでインターンしましょう(笑)。すごく楽しいし、実力もつくし、社会問題を解決できる! 就職にも絶対に役に立ちますよ。興味があれば、ぜひ当団体のHPをご覧ください。お待ちしています。

遠くの国に生きている、ということ

北朝鮮の独裁者が死んだらしい。

僕は北朝鮮問題にはそこまで関心がなかったのだけれども、一方で「独裁者」には縁があったように思う。
そもそも、イラク戦争への憤りがきっかけで大学受験を志したし、その後ルーマニアで生活していたこともあった。
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イラク戦争の頃、僕は「アメリカが間違っている」と熱く憤っていた。
そういう若者は、その頃よくいたように思う。
けれども、大学1年生の終わりに、イラクの若者をホームステイ先として受け入れることになってから、考えが少しだけ変わった。

ある晩、部屋でイラク問題について語っていると、そのイラク人の若者は、「アメリカに感謝している」と語ったのだ。「独裁者であるサダム・フセインを追い出してくれた」のだから。

その時から、「外部者」は何を語ることができるのか、悩むようになった。
http://yasudayusuke1005.wordpress.com/2005/03/17/%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%82%AF/

苦しんでいる主体が、「我々」ではなく「彼ら」なのだとしたら、その「我々」に問題を語る資格があるのかわからなくなった。
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ルーマニアに住んでいた頃は正反対の経験をした。
「独裁者」が感謝されている、という状況だ。

ルーマニアにはかつてチャウシェスクという独裁者がいた。1989年、革命により独裁者が倒され、住民は歓喜したが、必ずしも「社会がよくなった」とは言えなかった。
社会主義の後に訪れた資本主義の波が、格差を拡大させた。

僕がルーマニアに住んでいた頃、「チャウシェスク時代の方がマシだった」という声をよく聞いた。
日本で聞いていた「独裁者」とは違った姿が、そこには存在した。

ちなみに、独裁者の打倒から20年以上が過ぎた現在では、56%の人が、「共産主義時代の方が大衆を尊重していた」と語っている。そして、1/3の国民は「革命は間違いだった」と評価している。
http://www.wsws.org/articles/2009/dec2009/roma-d24.shtml

つまり、人を幸せにしない社会体制・独裁政治が壊れたとしても、それ以上に人を幸せにしない社会がやってくるかもしれない。
世界は複雑だ。

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「独裁」とは直接関係ないが、バングラデシュでも、外部者と内部者の目線の違いに戸惑うことがあった。
特に日本国内において「ソーシャルビジネス」と持て囃される、グラミンバンクをめぐる言説が顕著だ。

http://yasudayusuke1005.wordpress.com/2008/10/25/microfinance/

考えてみれば、当たり前のことだ。

日本でも、ある政策・社会体制の正しさについて、100%全員が賛同するものなど存在しない。
例えば、小泉政権が正しかったのかなんて、未だに合意はない。
ある者は「格差を拡大させた」と言い、ある者は「格差の拡大なんて嘘だ」と言う。

ただ、それが未知の国になると、なぜかその背景に想像力が働かなくなる。
100%正しいことが、あるかのように見えてしまう。

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勿論、現場にいない者は何も語る資格がないのか、と言えば、それは違う。

でも大切なことは、「その場所に生きている人が本当に幸せなのか」 ということだ。
「独裁国家は間違っている」と噴き上がることは多くの人がやっているけれども、「本当にそこに生きる人が幸せになれる社会は何なのか」を真摯に悩む人は、あまりいないように思う。

そのことが残念だ。

承認をめぐる戦い

弊社のインターン生のうち3名が就活を始めた。
やっぱり彼らの将来は気になるので、ちょくちょく就活生の情報を集めてしまう。

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僕が就活をした頃も、今も変わらず、「優秀」な大学生が大手企業を目指し、「最も優秀」な大学生が外銀や外コンを目指す。多くの場合、それはきっと、「承認」をめぐる戦いなのだと思う(その気持ちはよくわかるし、それを批判するつもりは全くないのだけれど)。

「優秀」だと言われて育ってきた人ほど、そのラベルが消えるのがきっと怖い。
そのラベルが外れることに、慣れていないから。 そして、そのラベルによって「承認」を勝ち得てきたから。

でも優秀な大学、優秀な会社、成功して金持ち、になったとしても、多くの場合、その承認は「何があっても崩れないもの」ではない。

だから、他者との関係の中で試行錯誤しながら認められて、そのことで「何があっても自分は自分だ」という「尊厳」を手に入れた方が、人は幸せになれる気がする。

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世界中どこにいたって、人は「承認」を求めて彷徨っていた。
パレスチナの若者たちは、「世界がパレスチナを見捨てている」と嘆き、農村から得られてきたバングラデシュのセックスワーカーは、「自分には生きている価値がない」と悩み苦しんでいた。そして僕も。

僕自身、生まれ育った環境のせいで、常にその戦いの中にいた。いつも承認を求めて彷徨っていた。大学受験を目指したのも、不特定多数からの承認を求めていたからだと思う。

「もう大丈夫だ」と思えたのは、大学に入った後でイスラエル・パレスチナやバングラデシュで出会った友人たちのおかげだった。何があっても自分は自分だと思えるようになった。自分自身を認めてくれる存在に出会えた。

試行錯誤しても承認してくれる存在があり、そのことで尊厳が担保される。だから、また試行錯誤できる。
僕は今、その循環の中にいる。
実際僕は、商社にいた頃より、零細NPOの理事長の今の方が100倍ぐらい幸せだ。

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月曜は、某D社でのMTGの後、 スタッフ6人で銀座まで歩き、丸の内でイルミネーションを見て、帰った。
「神なき時代を生きるのはつらいよね」とか、「電車の窓から見える一人ひとりの物語について」とか、青臭い話をしながら。

あの頃すごく嫌いだったオフィス街の風景が、今は全く違ったもののように見えた。

what I thought 3 years ago

During my stay in Bangladesh, especially village areas, a different idea about “Poverty” came up in my mind.

Is it true that they have to be “saved” by us?
They actually do not have a lot of things, but instead, they look happier than us for me.

Of course, material poverty is still an issue to be solved.
As modern society has been coming even in developing countries, people are easy to drop-out from family and friends networks such as slam people and street children. Safety net in developing countries is weaker than in those of “developed countries”

But actually, the definition of the term “poverty” is also changing even in developing countries. Their basic needs have been more or less materially fulfilled, but different problems are coming up; such as suicide, gap between rich and poor, which many of “developed countries” have faced.

In my opinion, as human being has lived for so many years on this planet, no one might need to be changed to “modern”, though some call them “poverty”.

I always thought of it 3 years ago in Bangladesh and am still looking for the answer.

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最近ほとんど英語を使っておらず、元々ヘタだった英語が、ますます使えなくなってきた。というわけで、ちょくちょく英語で考えたことを記録していこうと思っている。最近はTimeを購読し始めたので、きれいな英語が身につくのは時間の問題、きっと(笑)

「幸福」について

僕がこの数年間ーバングラデシュで生活する中で、日本でサラリーマンをする中で、会社を経営する中で、困難を抱えた若者たちと接する中でーずっと考えてきたことは、「何が人の幸福をつくるのか」ということだった。

小学校を卒業してから住む人・住む場所を転々としてきた僕は、その後必然的に、社会の中で最も不遇な立場にある人に関心を持つようになった。
http://subsite.icu.ac.jp/prc/mail_magazine/contents/081030/yashuda/yasuda_01.html

イスラエル・パレスチナでの学生NGOでの活動を機に、大学二年生が終わると休学してルーマニアの平和研究所で働くようになった。しかしまもなく、一緒に働いていたアメリカ人たちが、現場を知らずに途上国の課題を語っていることに苛立つようになった。そして僕は、ルーマニアでの仕事を辞め、バングラデシュに通い始めた。

世界の底辺と呼ばれる国で、底辺を生きる人達と共に過ごして、彼らの側から世界を見てみたかった。
何が正しくて、何をすべきなのか、考えるのはその後でもいいように思えた。
だからバングラデシュの娼婦街に籠った。
当時は「地球の歩き方」さえ出版されていない国だった。

その後バングラデシュという国に魅せられて、これまで合計9往復した。合計滞在日数は1年を超えた。
下手ではあるけれども、日常のだいたいの用事は、ベンガル語で済ませることができるようにもなっていった。

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娼婦街での出来事は、以前下記のエントリーにまとめた。
http://yasudayusuke1005.wordpress.com/2011/06/27/bangladesh-sexworker/

けれども、バングラデシュにいた頃、セックスワーカーの女性たちだけと接していたわけではない。
たくさんの現地の大学生たちの力を借りて、映画を制作していた。

友人の大学生たちは言っていた。
「バングラデシュはこれからも発展していくけど、その代わりにもっと大切なものを失わないようにしなければいけない」「農村に仕事さえあれば、故郷で家族と共にゆっくりと仕事をするような生き方ができるはずだ」

先進国の人々が想像するよりずっと、彼らは「未来」を見据えていた。
ただ単に「お金が欲しい」「発展したい」、そんなことを話しあったりはしなかった。
何が人の幸せを創るのか、愚直に悩んでいた。

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その中で僕は、日本のことをよく考えるようになった。
「日本はバングラデシュより人口は少ないけど、毎年三万人以上が自殺するよ」
そんな話をよくした。
現地の友人たちも日本の課題について関心を持つようになった。

今日よりも明日が、明日よりも一年後に、何か良い事が待っているはず―発展の途中にあるバングラデシュでは、どこかでそんな感情を皆持っていた。

でも物心ついた時には日本のバブルが終わっていた僕には、「社会がもっと良くなる」なんて感情を抱くことは難しかった。

そんな時に秋葉原での大量殺人事件・リーマンショックが起こった。

「バングラデシュの人々よりも、日本の人々の方が不幸なのかもしれない」
そんな疑問に答えを出すために、日本に事業をやることにした。

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何が人の幸福を創るのか、なんてことは未だ勿論分からない。
そして、バングラデシュと日本を比較してどっちが幸せか、なんてことも僕には言えない。

けれども、自分自身の十代の頃の経験から、そしてバングラデシュのセックスワーカーと生活してきた経験から、「自分が社会の底辺にいる」という感覚は、すごくつらいことだとわかった。自分の存在を肯定できない状態は苦しい。

人は「飯が食える」「金がある」ことによって生きているのではなく、究極的に言えば「尊厳」みたいなもの、によって生きているのだと僕は思う。
http://yasudayusuke1005.wordpress.com/2008/08/
だから、その「尊厳」を守り、「自己肯定感」を人に提供するような事業を行いたいと考えるようになった。

ユメについて

僕は中退や不登校、ニートといった、社会のレールから一度外れてしまった若者たちの支援をしている。

よく彼らに対して浴びせられる批判は「彼らは夢や志がないからダメになるんだ」という種類もの。
でも、それはちょっと違うな、と僕は思っている。

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先月から僕のNPOが経営する塾に通うことになった不登校の子(中学生)は、はじめに「僕は夢とかないから高校に行く気も起きないんだと思う」と下を向いて語った。

そこでウチのスタッフは、「私が高校受験の時は、怖い人がいなさそうなスカートの長い高校を選んだよ」と伝えた。いじめられっ子だった彼女は、「いじめられないこと」が高校選びの基準だった。

僕の場合も、しょうもない理由だった。下っ端ヤンキーだった僕は、「これ以上ケンカに巻き込まれるのは面倒だ」という理由で、地域で上から七番目、下から三番目の高校を目指した。つまり、一番下と、下から二番目の高校は嫌だった。これ以上、カンパ集めはしたくなかった笑

そんな話をひと通りすると、 「ヤンキーにいじめられない学校に行きたい。」と、ウチに通い始めたその子は語った。そして、勉強を始めた。全く勉強をしたことなかった子が、である。

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人は、「夢」にだけ生きているのではない。
収入や時間、地位や名誉、そういったものの中から、自分の価値観に照らしあわせて将来を選択していく。大人なら誰しもが行なっていることだ。

けれども、子どもや若者に対して、大人たちは「夢をもて!」などと無責任なことを語ってしまうことが多い。
だから若者たちは「ヤリタイこと」に囚われ続けてしまう。
「ヤリタイこと」に囚われ、何が自分の幸福か、を見失ってしまう。

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僕が起業してから最もお世話になっているNPO法人「育て上げ」ネットの工藤理事長の言葉を借りれば、人間の仕事は「ライスワーク」「ライクワーク」「ライフワーク」に分かれる。
「飯を食うために働く」か、「好きなことを仕事にする」か、「人生をかけて成し遂げたいことを仕事にする」か、という3つの分類だ。

http://dricomeye.net/05_sokora/sokora100712.html

そして、その3つに優劣はなく、そのどれを選びとるのかはその人次第だ。

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ちなみに僕は、商社で働く際に、「飯を食うために働く=ライスワーク」を目指した。

満員電車に乗る時点で、「ライクワーク」には成り得ないし、商社で成し遂げたいミッションはなかった。
ただ、毎日そこそこ早く帰れて給与が高いのは、総合商社がダントツだと思った。
「給与」を言い訳にして、僕は商社に決めた。

けれども残念ながら、僕は半年で会社に行かなくなった。
僕は「ライフワーク」にしか関心が持てなかったのだ。

今は起業して、「本当に価値がある」と思える事業を細々とやり続けているので、それなりには満足した生活を送っている。「どう生きたいのか」という問いの答えを、20代後半にしてようやく見つけたのかもしれない。

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